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ある兎の話

Category短編小説集
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ある森林の近くの広い平原に住む兎がおりました。

兎は毎日毎日野原の花や草を食しては、日向に体を休めて暮らしておりました。

ある晴れ渡る雲ひとつない青空の日、兎はいつものように草をはみ、草原の草影で体を休めていました。


空をみあげ、無限なる青の世界を眺めておりましたら、どこからともなく空にひとつの影が入り込みました。

兎は瞬時に身の危険を感じ、草むらでじっと身をひそめておりました。

しばらくすると、その影は青空を急降下し、その大きな翼と思われるものをはためかせ、また空へと戻るのです。

兎はあれが何なのかわかりませんでしたが、精悍でただならぬ素早い動きを怖れました。




あれが何度も現れるたびに、他の兎や生き物たちは森林のほうへ逃げ、または草原に掘った穴蔵へ隠れてしまいます。

しかし兎は逃げようとしませんでした。
ただ草むらに潜み、その影をずっと見ておりました。


『ああ、なんとおそろしい、なんとたくましい、なんと気高くじゆうなあれはなんなんだろう……』


そう、兎は恐怖を乗り越えてしまい、とうとう今では深い興味と探求の心であれを見るようになったのです。
身の危険も忘れてしまうくらいに。




そういう日々が、季節の巡りとともにずっと続きました。



そしてついに、ふつうの暮らしでは決して考えることのない想いにふけるようになりました。

あの空をあれように自由にとべたら………


兎は己の体を恨めしくさえ思うようになり、しまいにはあれが現れても草むらに隠れることもままならなくなってしまったのです。

あれは今日も悠々と大空を舞っています…。



兎は食事もあまりとらず、大好きな日向の休息もどうでもよくなり、あれが大空の彼方に消えるまで、地を駆けて追うことすらするようになりました。


とうとう兎に見かねた仲間が言いました。

「このままじゃおまえはいつか、あれに食われてしまうぞ。」

兎はただうつむいて仲間の忠告を聞いておりました。





季節が春を迎えた頃、兎は仲間の忠告をきいて、あれが現れると仲間と共に森林へ隠れるようになりました。


そして今日も………。


今日の空はいちだんと蒼く空気は冴え渡り、霞みさえない太陽だけある空でした。

あれはいつものように現れ、いつものように大空に在ります。

兎は森林に逃げようと駆けておりましたが、森の入り口で躊躇してしまいました。

そして暫く考え、身をひるがえし草原へと引き返したのです。

仲間の呼び止める声すら聞こえない速さで無我夢中にあれの影を追いかけました。

しかし追いかける兎の前に、大きな池が行く手を阻んでしまいました。


大空の影がどんどん離れていきます………。


兎は意を決して、池のなかに身を投じました。

バシャバシャバシャ。

当然兎は泳げません。
兎も泳げないことはじゅうぶんに分かっておりました。

兎は必死で水面をかき、水しぶきをあげ、もがき泳ぎました。


すると消えかかっていた大空のあれが戻ってき、池をめがけて急降下してきたのです。

兎がそれを認識する間もなく、体に激痛が走ったのは何か鋭いものががっしりと自分の体に食い込んでいるからと知りました。

兎の体はそれらに捕らわれたまま瞬く間に池を離脱し、急上昇していきました。

どんどん離れていく大地の眺めに、兎は体の激痛もそこから流れる赤いものの意味さえも全く目には入りませんでした。

今自分はこの空に在り、この空をあれのように在る……。

兎の視界は青空の蒼一色になりました。
照り輝く太陽に近い場所ゆえに、その眩しさに兎は目眩さえ感じました。
だんだんと力が抜けていく感覚も、激痛さえもなくなる不思議な感じを覚えました。

そして兎の目にうつる景色は、広大なる蒼一色だったものがしだいに霞みを帯び点滅する玉虫色となってからは、かぶさってくる闇と共にしだいに消え失せてゆきました。